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大阪地方裁判所 昭和35年(ワ)4605号 判決 1965年2月15日

原告 三笠木勝哉

被告 江綿株式会社

主文

被告は原告に対し金弐拾万円を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の、残余の二を被告の各負担とする。

この判決中第一項に限り金四万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

第一、請求の趣旨

一、被告は原告に対し金五〇〇、〇〇〇円を支払え。

二、被告は原告に対し朝日新聞、毎日新聞及び読売新聞各社発行の朝刊全国版社会面紙上に縦二段、巾三〇行にわたる紙面を使用して見出しの部分を三号活字、その他の部分を五号活字を以て、別紙<省略>記載の謝罪広告文を掲載せよ。

三、一項について仮執行の宣言。

第二、請求の趣旨に対する答弁

請求棄却。

第三、請求の原因

一、(1)  原告は昭和二九年頃より父親訴外三笠木乙次郎と共同で「みやこや」なる商号を以て服地小売業を営んでいたもの、被告は服地等の卸売業を営んでいる者であるが、原、被告間で昭和三二年頃より引続き服地の取引をしていた。

(2)  ところで被告は小売店に対し店頭販売する衣料品の代金決済について原則として現金でなすことゝし、ただ相当期間取引することによつて信用ができれば小切手による決済を認め、小切手による場合先日付小切手でなされる例もあつた。

(3)  被告は「みやこや」との取引においても、原告に対し原告振出しの一〇日乃至一月の先日付小切手を右日付前に呈示しないことを特約した。たとえ右特約が明示的にされなくても原、被告間のように継続的取引を行う者の間で先日付小切手が授受されたときは日付前に呈示しないという特約が当然黙示的になされていたところである。

(4)  ところが、被告は、昭和三四年三月二八日、同年七月八日をはじめ、再三にわたつて原告振出の先日付小切手をその日付前に自己の取引銀行に振込み、原告は同銀行からの報せでその都度これを被告に連絡し、被告において該小切手を依頼返却し、さらに被告は、同年九月一二日にも、原告振出の先日付小切手をその日付前に取引銀行に振込んだ。

(5)  被告は右小切手が先日付であることを知つていたのであり、たとえ知らなかつたとしてもそのことは小切手の記載によつて容易に知り得たところであるのにこれを怠つて、日付前に、あえて振込んだものである。そこで、原告は前同様被告に連絡し依頼返却方を求めてその諒解を得たが、被告はその手続を怠つた。

(6)  そのため、原告は、同年九月一九日、不渡処分を受けるに至つた。原告は、早速、被告に対しその不信をなじり善後措置をとる様に申入れ、同年九月三〇日、右不渡発表処分取消の通知に接し、翌日より銀行取引を再開するに至つた。

二、(1)  原告は前記のように父と共に服地小売業を営むかたわら、昭和三三年一〇月頃より「ハーレ化学工業株式会社」(目的ハーレワツクス及洗剤製造販売、資本金二、〇〇〇、〇〇〇円)の設立を準備し、同会社は既に訴外旭ペイント株式会社と月金一、〇〇〇、〇〇〇円程度の取引(そのうち利益は四割乃至五割)をする予定になつており、その他にも市場開拓中であつたところ、前記不渡処分発表のため原告の信用は地におち、ついに、右会社設立による新企業の計画は画餅に帰した。

(2)  よつて、原告は著しく精神上の苦痛を蒙るに至つたのであるが、被告は原告の右事業の模様を知悉していたものである。よつて原告は被告に対しその蒙つた精神上の苦痛に対する慰藉料として金五〇〇、〇〇〇円の支払と、名誉回復の措置として請求の趣旨掲記の謝罪文の掲載を求める。

第四、請求の原因に対する答弁

(一) 請求の原因第一項(1) のうち被告が服地等の卸売業を営むものであること、(その余の事実は否認する。「みやこや」なる商号を以て服地小売業を営んでいたのは三笠木乙次郎であつて、被告は同人との間に取引をしてきたものである。)、(2) 、(4) の事実、(6) のうち原告が不渡処分を受け、その後その取消通知に接して銀行取引を再開するに至つたことはいずれもこれを認めるが、(3) の事実はこれを否認する(先日付小切手を授受する合意と日付前に呈示しない合意とは別のことである、仮にかかる特約が存したとしても、小切手法二八条二項の趣旨に徴して、その特約自体無効である)。

(二) 請求の原因第二項(1) は不知、同項(2) は否認する。

第五、立証<省略>

理由

一、被告が服地等の卸売業を営むものであること、請求の原因第一項(2) 、(4) の事実、原告が銀行取引停止処分を受け、その後、その取消通知を受け、銀行取引を再開するに至つたことは当事者間に争のないところである。

二、甲第一号証(成立に争がない)、甲第二乃至第八号証(原告本人尋問の結果によつてその成立を認め得る)、証人伊野貞一郎、同三笠木乙次郎及び原告本人尋問の結果を綜合するとつぎのような事実を認定することができる。

(1)  原告は、昭和三四年一月頃まで銀行に勤務していた身であるが、その傍ら、昭和二九年頃から、自ら出資して「みやこや」なる商号を用いて服地小売業を始め、当初はその妻をして経営の掌に当らしめていたが、間もなく父親の訴外乙次郎に経営を全面的に委任するようになり、その収益による納税名義人も乙次郎とした。

(2)  乙次郎は、昭和三二年頃から、被告より服地類を買受けるようになり、当初は現金取引であつたが、その後原告振出の小切手によつて買受代金を支払うようになり、さらに、昭和三三年九月頃、被告従業員訴外伊野貞一郎(店頭販売責任者)に対し一〇日乃至一ケ月先日付の小切手で支払うことの了解を求め、その承諾を得るに至つた。

(3)  被告方では先日付小切手を受取つたときはこれに目印の附箋をつけておいて記載日付に銀行に取立に廻すようになしていた(証人山田文明の証言による)。

(4) かくて乙次郎は、昭和三四年九月一九日、不渡処分を受けるに至るまでの間に、一五乃至二〇回にわたつて、額面二、三万円程度の原告振出の先日付小切手を以て被告に対する支払をなし、その日付については、その都度、伊野の了解を得ていた。ところが、その間、前記(請求の原因第一項(4) の事実)のとおり、先日付小切手がその記載日付到来前に取立のため銀行に廻されることがあつて、その都度、原告は電話で被告会社係員に対しその不信をせめ、被告側の依頼返却措置によつて処理させ、乙次郎も伊野に苦情を申立てていた。

(5)  原告は、昭和三四年九月一二日、またまた取引銀行から小切手(甲第一号証)支払金不足の連絡を受け、右小切手が先日付小切手であることを確めて直ちに被告方にこれを依頼返却するよう申入れてその了解を得たが、被告方において依頼返却手続を怠つたゝめ、結局、右小切手は不渡となり、原告は銀行取引停止処分を受けるに至つたので、被告方に赴いて抗議を申出で善処方を求めたところ、その後において右銀行取引停止処分が取消された。

(6)  原告は昭和三四年初頃から塗料の製造販売事業を企図し、会社設立を準備しながら、同年三月頃から事実上販売を開始し(同年九月頃からは一ケ月金一、五〇〇、〇〇〇円相当の取引契約が成立していた)、原告名義の銀行取引をなしていたが、未だ会社設立手続が完了しない間に前記銀行取引停止処分のため原告名義による銀行取引が不可能となり、右事業の資金源に窮して事業は挫折するに至つた(右事業として金二、〇〇〇、〇〇〇円相当の、原告個人として金九〇〇、〇〇〇円相当の各損害を蒙つた)。

もつとも証人伊野貞一郎、同山田日出男、同山田文明の各証言中には「被告側において三笠木乙次郎の申出に対し小切手の呈示を記載の日付まで猶予することを確約しなかつた」とか、「日付前の呈示に対しても原告側から格別苦情は出なかつた」旨の供述があるが、右は容易に措信できない。他に右認定に反する証拠はない。

三、前記認定事実によれば被告側としては乙次郎に対し原告振出の先日付小切手の呈示をその小切手面の振出日以前にはしないことを承諾したものであるところ、その後、右承諾にかゝわらず事務処理の不手際から原告振出の先日付小切手をその記載の振出日以前に支払のために呈示をなし、その都度、原告からの連絡で依頼返却をなしていたが、最後に、右依頼返却の手続をもとらなかつたために、原告が銀行取引停止処分を受けるに至り、延いては原告がやりかけた他の事業の運営に支障を来しこれを断念せざるを得なくなるに至つたものということができる。ところで先日付小切手について記載の振出日以前に支払のために呈示しない旨の特約をしても、かゝる特約は小切手法第二八条第二項の規定の趣旨に徴し、それ自体無効であるとする見解がないではない。しかしながら、小切手を現実に振出すときに支払人たる銀行には資金がなく、小切手面記載の振出日になつて始めて支払人たる銀行に資金を生ずる場合において、短期間の信用を受けるために先日付小切手を振出すことが実際上広く行われており、小切手の外観解釈の原則に基いてかゝる先日付小切手も有効とされているところである。唯小切手の一覧性の趣旨を徹底させるため先日付小切手について記載された振出日以前に支払のために呈示をなし得るものとされている(前掲示条項)のであるが、このように記載の振出日以前に支払のために呈示することは振出人の意思には合致しないところである。そうであるから、当事者の間で、小切手記載の振出日以前に支払のために呈示しない旨を特約した場合に右特約をも無効とするは当らないところであつて、かゝる特約があるのにこれに違反して受取人自身が小切手面の振出日より前に支払のために呈示をなし、これによつて振出人に損害を生じたときは、振出人、受取人間の原因関係の債務不履行として受取人は振出人に対して損害賠償の義務を負うと解すべきである。

四、本件において、被告は先日付小切手を記載の振出日以前に支払のために呈示しないことを承諾していたところであつて、これに違反して先日付小切手を振出日以前に支払のために呈示すれば、当然、小切手の振出人である原告において右小切手の支払が困難となり、延いては銀行取引停止処分を受ける公算が大となり、結果、原告の経済的信用が失墜し、経済的活動(それが服地売買取引に限らず、他の取引であろうと)に支障をきたすであろうことは予見し得るところである。よつて、被告は原告が前記銀行取引停止処分を受けた(たとえ、その後、これが取消処分を受けたけれども)ことによつて新規事業の経営に失敗し、そのために原告の蒙つた精神的損害を原告に賠償すべきである。

ところで右損害額について考えてみるに前記認定のとおり、本件特約の内容(本来原告より被告に対し債務履行の猶予を懇請するものであること)、本件事故小切手の額面、不渡処分のあつた前後の模様、原告が設立計画をして成らなかつた会社の態様、その他諸般の事情を考慮して右損害額は金二〇〇、〇〇〇円を以て相当とし、且つ、(原告は被告に対し金銭賠償の外に謝罪文の広告をなすことをも求めているが)右金銭賠償をなすを以て足るものと解する。

五、よつて、本訴請求は右の限度でこれを認容し、その余の部分はこれを棄却し、民事訴訟法第九二条、第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 中村捷三)

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